偏差値92.5が教える現代文の勉強法

f:id:keiskeokada:20201011022128j:plainみなさん、現代文は好きですか?残念ながら現代文は好きだからといってどうにもなりませんよ。


ではどうやって勉強したらいいのか?高い参考書を買う?東進で林修先生の授業を受ける?胎内からやり直す?どれも試したことがないので効果は知りませんが、わたしはどれも行わずに、進研模試の国語で全国偏差値92.5を取りました。そのわたしが少しだけ、現代文を攻略するコツを伝授します。


みなさんは現代文にどんなイメージを抱いていますか?言っていることがわからない?内容は理解できても問題に解答するのが難しい?授業は理解できても模試では成績が残せない?いずれにせよ心配いりません。わたしが伝えたいコツはただ一つ、


「この文章は何を伝えたいのか」を脳内で図式化すること


これだけです。散々言われてきませんでしたか?では果たしてみなさんは本当にこれを実行していましたか?そうしていたなら既に偏差値90を取っているはずです。


わたしはこれを「常に」意識しています。現代文の授業や模試の最中だけではありません。朝のニュース、日常の会話、お気に入りの小説、あとわたしはオタクなのでpixivや個人サイトで二次創作の小説を読むのですが、それを読むときももちろんです。ライトノベルだって新聞だって「文章」である以上変わりません。大事なのは、日々の研鑽です。


具体的には以下の通りです。


・「それ」「あのこと」「この話」など指示語が出てきたら、それがどのような内容を指すのかを必ず考える


・「だから」「しかし」「やはり」など接続詞が出てきたら、それがどのような内容と、どのような内容を接続しているのかを必ず考える


・「彼女は大粒の涙を流しつつも、どこか頭の隅では冷静な自分がいるのを自覚していた」「一見理屈は通っているが、実はその理論には大きな穴がある」など複雑な心情表現や矛盾した表現が出てきたら、どうして、どのようにそうなったのか、理由や経過を必ず考える


これだけです。「自分でオリジナルの問題を作って答える」という現代文の勉強法を実践している人もいるでしょう。「オリジナルの問題」はこれだけで無限に作れます。これを日常生活のすべてのシーンで、真剣に取り組みます。


この過程で、自然と脳内にその文章の言わんとするところを図式化した表が出来上がっているはずです。指示語をすべて取っ払って矢印とイコール、ノットイコールで結ばれた美しい表が完成します。これが「この文章は何を伝えたいのか」を脳内で図式化する、ということです。もちろん脳内だけでは厳しければ問題用紙の端に書いてしまえばいいです。メモ程度で構造を記しておけば、テスト中に後で見直すときにすぐに内容を思い出す助けにもなります。


これを繰り返すと「現代文のセンス」のようなものが磨かれていくはずです。これは問題を見た瞬間に何を答えさせたいのか、つまり出題の意図が透けて見えてくる能力です。もう何を書けばいいのかは、大まかに判断できますね。そうしたらここからは技術の問題です。文中の語に根拠を求めます。


目を皿のようにして問題文を読み込み、選択問題であれば選択肢を読み込みます。ふたつ以上の選択肢で迷った時に頼るべきはあくまで「表面上の文章表現」です。直感に頼ってはなりません。文章を細切れにして、部分ごとに問題文と選択肢を対応させていったとき、少しでも齟齬があればそれは間違いか、悪問です。「少しでも直感でピンと来るもの」よりも「少しでも表面上の違和感が少ないもの」を選びましょう。


それでも迷ったら、できるだけ表現が弱いものを選びましょう。「『私』はこの時絶対に…と決めていた」のような強い表現の選択肢は大穴です。もちろんこれは他の教科にも言える常識ですが。


ここまで来ればあなたはもう、マーク模試満点です。


【論述編】

論述問題でもやることは変わりません。とにかく問題文を読み込み、図式をつくるのです。内容理解ができれば、あとは問題のタイプごとに解答方法を工夫するだけです。


・「彼女は憤慨した」とあるが、なぜか。[プロセス型]


このように指定箇所が平易な表現の場合、指定箇所に至る経緯を述べます。ここで大事なのは「あなたがしっかり内容を理解していると伝わるように解答すること」です。「彼女の飼い犬が死んだが、友人が気にせず笑っていたから」では不足しています。「彼女の飼い犬にチョコを食べさせて中毒死させた友人に、悪びれた様子がなかったから」のように、「友人が笑っていたから」が直接の理由だとしても、一歩踏み込んで「なぜ笑っていた友人に憤慨したのか」を述べなければなりません。これで得点が2倍になります。


・「ぼくは文学の海のなかでたった1匹の小エビでいられるだけで幸せだった」とあるが、どういうことか。[言い換え型]


このように指定箇所が難解な言い回しや比喩表現、その前の部分で説明した造語などを用いている場合、内容説明を行いますが、肝心なのは「指定箇所を過不足なく的確に言い換えること」です。「文学の海」=「奥の深い文学界」、「小エビ」=「うだつの上がらない/売れない文筆家」などと具体的に、内容に沿って丁寧に言い換えます。ここで余計な語を足しても削ってもいけません。難しければ、「曲解」→「誤解」のように、熟語の片方の漢字を使って似た意味の熟語に置き換えてしまえばいいです。ですが突飛な説明をしては0点ですので、文中の語を使えるならば極力使いましょう。これで得点が2倍になります。



いかがでしたでしょうか。これらを意識すれば東大国語も京大国語も進研模試も変わりません。現代文の勉強にお金を払う前に、ぜひ参考にしてください。

待ち合わせした友達がすみっコぐらしのパジャマを着てきた

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中学3年の3月だった。無事に受験も終わり、卒業式の後には友達と別れを惜しみ、高校入学前に遊びにいこうという話になった。

わたしには特に仲のいい友達が2人いた、モテモテで彼氏のいない期間がないAちゃんと、趣味が合い意気投合したオタクのBちゃん。3人で遊んだことはなかったが、今度カラオケでも、という話になった。わたしは期待に胸を膨らませた、きっと思い出に残る1日になる……まさか、別の意味で「忘れられない」日になるだなんて、予想だにしなかった。

田舎の中学生の待ち合わせ場所なんてバス停か無人駅だ。例に漏れずわたしたちは寂れたバスターミナルで集合ということになった、初めに到着したのはわたしだった。WEGOのカーキ色のビッグシルエットのアウターとハイウエストのデニムパンツを組み合わせて春らしくカジュアルに、を意識したコーデだった。ファッションには疎かったが自分なりに色味やシルエットを考えて選んだ服だった。

次に到着したのはモテモテのAちゃん。フェミニンなデニムスカートと、くすみピンクのブラウスが印象的な、腰のキュッとしたくびれを演出した組み合わせに黒のショートブーツ。さすがモテる女。

あとはBちゃんの登場を待つだけだった。わたしはBちゃんの私服を見たことがなかった。5分も待たないうちに彼女は母親の車に乗って現れた。

まず目に入ったのは、ピッチピチのうすいピンクのパーカー。前のファスナーは閉めていた。点々と小さく何かの模様が入っている。テイストで言えばシナモロールかウサハナの感じ。コンマ数秒だったが、あれ?と思った。

次にボトムスに目を移すと、そこにいたのは、すみっコぐらしだった。見ればわかる。すみっコぐらしだ。「すみっコぐらし」とロゴがある。え?なんで?

彼女は黒いレギンス(綿100%あったか素材、全く透けない)の上に、タオルケットみて〜な生地の、うす水色の"半ズボン"を履いていた。裾に、すみっコぐらしのでっかいプリントがあった。どう見てもパジャマだった。

わたしは目を疑った。もはや全身がパジャマだ。たとえパジャマとして売ってなくても、しまむらで母親が買ってきた小4の頃の部屋着だ。え?なんで?

15歳の女子というのはそろそろ色気付いて、いや色気付かなくても、おしゃれを始めるものだ。Aちゃんもわたしも程度の差こそあれそうだ。オタクのわたしでさえ多少は勉強しているつもりだった。

もちろんわたしは、すみっコぐらしを貶しているのでもBちゃんを貶しているのでもない。わたしだってオタクで地味で、流行には疎いし、他人に好き勝手言う資格はない、現に服を的確に形容することができない。それにしても、だ。あんまりじゃないか。少なくとも本人は「あっ、すみっコぐらしじゃなかったかも……。」という顔はしていなかった。自覚してなかった!!!!


ぜひともわたしを笑ってほしい、わたしの心が狭すぎるというだけの問題だ。何を着たっていい、人はありたい姿であるべきだ。すみっコぐらしが好き?楽な服装が好き?結構じゃないか。好きな服を着て何が悪い。ただ、あまりにも、その服装はダサかった

わたしは悩んだ。わたしやAちゃんが上記のように寛容だったとしても、彼女のこの服を見た他の不寛容な人がいつか彼女を傷つけてしまうかもしれない。彼女のために、指摘するべきだろうか?汗ばんだ手でマイクを握りながら考えた。「すみっコぐらし、好きなの?」「今日は着心地の良さそうな服だね」「普段、どこに服を買いに行くの?」どれも違う。そもそもわたしが言うべきことなのか?余計なお世話をしてわたしが彼女を傷つけることが、他の人が傷つけるのと何が違うというのだろう。これは、正義なのか、偽善なのか。わたしは結局何も言えなかった。別の高校に入学して、それきりBちゃんとは会っていない。

今日わざわざこれを思い出したのは、今日、現在高3のわたしが、別の友達の私服を見て似たような思いをしたからだ。この友達をCちゃんとする。

Cちゃんとは約束をしていたわけではなかったが、週5で通う勉強場所で勉強していたら、Cちゃんもよく来ているのでいつものように顔を合わせた。いつもと違うのは、わたしもCちゃんも私服だという点だ。

同じ勉強仲間のDちゃんは白いチュールスカートにくすみカラーのビッグシルエットのパーカーで、こなれているけども女の子らしく、わたしは黒い半袖のパーカーの上からストライプのオープンカラーシャツを羽織り、濃紺のデニムのワイドパンツ。自信はないが自分らしくまとめたつもりだった。

Cちゃんが初めて視界の端に現れたとき、マイケルジャクソンが歩いてきたのかと思った。

黒いピッチピチのカーディガンの下にコテコテの明度低め彩度高めのピンクのニットで、首回りにキラキラする飾りがついていたと思う(Bちゃんの時もだが直視するのが辛くてディテールが分からない)。下はピッチピチの黒いパンツだが、スキニーではなくレギンスのようだ。靴下はニットと全く同じ色で上端がピッチピチのパンツの裾に隠れてしまうくらい普通に長く、靴は通学用のうす〜い茶色のローファーだった。シルクハットを被ってモザイクをかけたら、9割5分マイケルジャクソンだ。わたしの話を聞いた母親は「ビバリーヒルズ高校白書?」と言っていた。

百歩譲ってカーディガンやパンツが光沢のある素材なら分かるが、これまた綿100%みたいな着心地の良さそうな素材で、ローファーと首元だけやたらピカピカしている。靴がせめて秋冬物のもっとちゃんとした、カーディガンとパンツと同じく黒い、革のブーツか何かなら良かったが、いや、ハニーブラウンの浅〜い通学用ローファーて。

わたしはもちろん、何も言わなかった。この3年で、わたしはだいぶ成長したはずだ。けれど、「めちゃめちゃダサい友達にダサいと言わずにスルーする能力」を身につけたことを成長とよぶのか、妥協とよぶのか、それともこれを"大人"とよぶのか?そんな大人になりたくはなかった。どうか、大人の方々に正解を教えてほしい。
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