待ち合わせした友達がすみっコぐらしのパジャマを着てきた

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中学3年の3月だった。無事に受験も終わり、卒業式の後には友達と別れを惜しみ、高校入学前に遊びにいこうという話になった。

わたしには特に仲のいい友達が2人いた、モテモテで彼氏のいない期間がないAちゃんと、趣味が合い意気投合したオタクのBちゃん。3人で遊んだことはなかったが、今度カラオケでも、という話になった。わたしは期待に胸を膨らませた、きっと思い出に残る1日になる……まさか、別の意味で「忘れられない」日になるだなんて、予想だにしなかった。

田舎の中学生の待ち合わせ場所なんてバス停か無人駅だ。例に漏れずわたしたちは寂れたバスターミナルで集合ということになった、初めに到着したのはわたしだった。WEGOのカーキ色のビッグシルエットのアウターとハイウエストのデニムパンツを組み合わせて春らしくカジュアルに、を意識したコーデだった。ファッションには疎かったが自分なりに色味やシルエットを考えて選んだ服だった。

次に到着したのはモテモテのAちゃん。フェミニンなデニムスカートと、くすみピンクのブラウスが印象的な、腰のキュッとしたくびれを演出した組み合わせに黒のショートブーツ。さすがモテる女。

あとはBちゃんの登場を待つだけだった。わたしはBちゃんの私服を見たことがなかった。5分も待たないうちに彼女は母親の車に乗って現れた。

まず目に入ったのは、ピッチピチのうすいピンクのパーカー。前のファスナーは閉めていた。点々と小さく何かの模様が入っている。テイストで言えばシナモロールかウサハナの感じ。コンマ数秒だったが、あれ?と思った。

次にボトムスに目を移すと、そこにいたのは、すみっコぐらしだった。見ればわかる。すみっコぐらしだ。「すみっコぐらし」とロゴがある。え?なんで?

彼女は黒いレギンス(綿100%あったか素材、全く透けない)の上に、タオルケットみて〜な生地の、うす水色の"半ズボン"を履いていた。裾に、すみっコぐらしのでっかいプリントがあった。どう見てもパジャマだった。

わたしは目を疑った。もはや全身がパジャマだ。たとえパジャマとして売ってなくても、しまむらで母親が買ってきた小4の頃の部屋着だ。え?なんで?

15歳の女子というのはそろそろ色気付いて、いや色気付かなくても、おしゃれを始めるものだ。Aちゃんもわたしも程度の差こそあれそうだ。オタクのわたしでさえ多少は勉強しているつもりだった。

もちろんわたしは、すみっコぐらしを貶しているのでもBちゃんを貶しているのでもない。わたしだってオタクで地味で、流行には疎いし、他人に好き勝手言う資格はない、現に服を的確に形容することができない。それにしても、だ。あんまりじゃないか。少なくとも本人は「あっ、すみっコぐらしじゃなかったかも……。」という顔はしていなかった。自覚してなかった!!!!


ぜひともわたしを笑ってほしい、わたしの心が狭すぎるというだけの問題だ。何を着たっていい、人はありたい姿であるべきだ。すみっコぐらしが好き?楽な服装が好き?結構じゃないか。好きな服を着て何が悪い。ただ、あまりにも、その服装はダサかった

わたしは悩んだ。わたしやAちゃんが上記のように寛容だったとしても、彼女のこの服を見た他の不寛容な人がいつか彼女を傷つけてしまうかもしれない。彼女のために、指摘するべきだろうか?汗ばんだ手でマイクを握りながら考えた。「すみっコぐらし、好きなの?」「今日は着心地の良さそうな服だね」「普段、どこに服を買いに行くの?」どれも違う。そもそもわたしが言うべきことなのか?余計なお世話をしてわたしが彼女を傷つけることが、他の人が傷つけるのと何が違うというのだろう。これは、正義なのか、偽善なのか。わたしは結局何も言えなかった。別の高校に入学して、それきりBちゃんとは会っていない。

今日わざわざこれを思い出したのは、今日、現在高3のわたしが、別の友達の私服を見て似たような思いをしたからだ。この友達をCちゃんとする。

Cちゃんとは約束をしていたわけではなかったが、週5で通う勉強場所で勉強していたら、Cちゃんもよく来ているのでいつものように顔を合わせた。いつもと違うのは、わたしもCちゃんも私服だという点だ。

同じ勉強仲間のDちゃんは白いチュールスカートにくすみカラーのビッグシルエットのパーカーで、こなれているけども女の子らしく、わたしは黒い半袖のパーカーの上からストライプのオープンカラーシャツを羽織り、濃紺のデニムのワイドパンツ。自信はないが自分らしくまとめたつもりだった。

Cちゃんが初めて視界の端に現れたとき、マイケルジャクソンが歩いてきたのかと思った。

黒いピッチピチのカーディガンの下にコテコテの明度低め彩度高めのピンクのニットで、首回りにキラキラする飾りがついていたと思う(Bちゃんの時もだが直視するのが辛くてディテールが分からない)。下はピッチピチの黒いパンツだが、スキニーではなくレギンスのようだ。靴下はニットと全く同じ色で上端がピッチピチのパンツの裾に隠れてしまうくらい普通に長く、靴は通学用のうす〜い茶色のローファーだった。シルクハットを被ってモザイクをかけたら、9割5分マイケルジャクソンだ。わたしの話を聞いた母親は「ビバリーヒルズ高校白書?」と言っていた。

百歩譲ってカーディガンやパンツが光沢のある素材なら分かるが、これまた綿100%みたいな着心地の良さそうな素材で、ローファーと首元だけやたらピカピカしている。靴がせめて秋冬物のもっとちゃんとした、カーディガンとパンツと同じく黒い、革のブーツか何かなら良かったが、いや、ハニーブラウンの浅〜い通学用ローファーて。

わたしはもちろん、何も言わなかった。この3年で、わたしはだいぶ成長したはずだ。けれど、「めちゃめちゃダサい友達にダサいと言わずにスルーする能力」を身につけたことを成長とよぶのか、妥協とよぶのか、それともこれを"大人"とよぶのか?そんな大人になりたくはなかった。どうか、大人の方々に正解を教えてほしい。
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